2002年 1月 ~ 2002年 6月 - サミット・ゼミ | 少人数制の学習塾

サミット・ゼミ
Summit Seminar

2002年 1月 ~ 2002年 6月

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(2002年 1月 ~ 2002年 6月)


(2002年06月27日) 【「指導」という言葉】[▲ 先頭へ]
私は「指導」という言葉が嫌いです。「生徒指導」や「行政指導」という言葉の中には、「偉い人」がそうでない人々を強圧的に動かすというニュアンスが入っています。官尊民卑の発想です。英和辞典で「指導する」を引くと、”guide” “lead” “coach” です。因みに英英辞典で “lead” を引くと「道を示す」とか「前に立ったり、一緒になって行く」という意味になります。英語の「指導」という言葉は、情報や技術、経験を持った人がそうでない人を導くことを意味し、上下関係の要素は持っていません。
私のサラリーマン時代、アイルランドのある老舗の会社から輸入の仕事をしたことがあります。海外出張して首都ダブリンのその会社で年間計画のプレゼンテーションをした時、英文書類を準備した上で英語で説明しました。その会社の社長さんは私のプレゼンテーションを非常に誉めてくれました。その社長さんとは面識はありましたが、その会議の後、ファーストネームで呼ぶように言われました。創業百数十年の会社の社長さんを気軽に呼ぶことは抵抗がありましたが、そのようにしました。彼は、年齢がかなり下である私を評価して、親しく接してくれました。
日本では年齢による上下関係がいまだに続いているようですが、人間関係は対等であるべきです。私は、アイルランドでの経験を通して、年齢に関係なく能力や情熱を正当に評価することを学びました。サミット・ゼミに通ってくれる生徒さんには対等に接するよう心掛け、勉強のやり方や目標を持って努力することの大切さを教えさせて頂いています。同じ目線に立って、一緒に勉強し、一緒に悩みたいと思っています。(ちょっと格好良すぎますか・・・)

(2002年06月20日) 【教育を問う その7】[▲ 先頭へ]
サミット・ゼミに通ってくれているある高3生は、東京の難関私立大学を志望しています。しかし、学校の先生からは国立大学を目指すように指導されています。彼も最初は幾つかの国立大学を考えていましたが、いろいろ考慮し、家族の同意も得てある私立大学を志望し始めました。
彼によると、学校の先生は私立大学進学や浪人はさせないようにしているそうです。その理由は、先生は受持ち生徒の国立大学進学実績によって評価されるからだということです。以前にも、その学校の卒業生から同様のことを聞いたことがあります。その卒業生の友人が石川から遠く離れた国立大学を受験したそうです。その大学は、その友人の成績(偏差値)に見合った大学で、合格はしたものの入学はしなかったとのことです。国立大学進学実績作りのための受験だったそうです。
国立大学に進学することはもちろん好ましいことです。しかし、家庭の事情がゆるせば、私立大学に進むことや浪人することは悪いことではありません。二流、三流の国立大学より有名私立大学の方が将来的には有望です。また、より高いレベルの大学を目指して浪人することは見上げた根性です。
教育とは、生徒の可能性を見出しそれを伸ばすこと、生徒の実力を伸ばし世の中で独り立ちできる基礎を作ること、将来の選択肢を挙げて自分の進路を自ら考えさせることだと思います。大学は何が何でも国立大学という考え方は間違っています。私立大学でも良いし、浪人しても良いし、専門学校でも良いし、就職でも良いと思います。各生徒さんが自分の未来を切り拓くことこそが大切です。教育は、そうするための実力養成および情報提供の場であるべきです。

(2002年06月13日) 【こんな生徒さんがいました その2】[▲ 先頭へ]
正しいやり方で真面目に勉強すれば成績は必ず伸びますが、勉強では安心するとすぐ成績が落ちます。中1、2の時にあまり勉強せず、中3になる時に当ゼミに入ったN君の例が端的です。
本来真面目なN君は、それまでの分を取り戻そうと真剣に勉強に取り組み成績を着実に伸ばしました。英語の成績は、一学期の中間テストが91点、期末テストは89点、二学期の中間テストは96点でした。3年・二学期の中間テストの範囲は難しいのでこの96点は素晴らしい成績です。
しかし、中間テストのすぐ後に行われた実力テストの英語は32点でした。実力テストは範囲が広いので定期テストに比べて難しいのですが、余りにも極端でした。実力テストの後の個別反省会で、N君は、中間テストの96点で自分の英語は完成したと思い、実力テストの英語はほとんど勉強しなかったと語りました。
N君の例は、真面目に努力を重ねれば成績は上がること、成績が上がっても安心して努力を怠れば成績が一気に下がることを証明しています。因みに、N君の5教科合計点は、一学期中間:362点、期末:390点、二学期中間:391点、期末:401点と順調に推移しました。

(2002年06月06日) 【教育を問う その6】[▲ 先頭へ]
石川県は今年度6月補正予算案に「スーパーエリート高校」を養成するための事業費800万円を盛り込むそうです。石川からノーベル賞をという安易な新聞の見出しはともかく、教育委員会の考え方は支持できます。
数学や物理の理論を生み出す能力は、10代の頃が一番優れていると聞いたことがあります。脳が柔らかく活性化されやすいからでしょう。また、現在の学校は悪平等になっていて、本当に優秀な生徒は勉強のレベルを低いと感じています。従って、このスーパーエリート高校は能力ある生徒の独創性を引き出す環境作りとして興味深いものです。高校だけではなく、むしろ小中学校の段階から始めるべきではないかとも思います。
将来的に人類社会の発展に寄与するであろうエリート教育は前向きに検討すべきですが、勉強ができることにスポットライトが当てられ過ぎないような配慮が必要です。勉強ができることは人間にとって大切な能力の一つですが、あくまでも一つです。勉強ができること即ち素晴らしい人間であるとは限りません。
スポーツができること、絵がうまいこと、ピアノが上手なこと、人が嫌がることを進んですること、他人の気持ちを慮れること等も勉強ができることと同様に評価されることが重要です。人間が持つ様々な能力が正当に評価される社会になることを願います。

(2002年05月30日) 【教育を問う その5】[▲ 先頭へ]
今週は金沢の中学の中間テストがあります。昨夜の中3クラスで、先週発表された英語の試験範囲の復習を進めようとした時、生徒達は試験範囲が短くなったと言いました。発表されていた範囲はUnit1全部(2ページから13ページ)でしたが、2ページから7ページまでの範囲に短縮されたそうです。
中3の英語の教科書はUnit6まであります。学校の定期テストは年間5回です。一学期が始まって今回の中間テストまで約二ヶ月経過しています。それなのに何故、試験範囲が、単元の途中まで、そしてページ数でたったの6ページなのでしょうか。修学旅行の後に進めたUnit2の一部(2ページ)を加えても8ページ分です。さらに、Unit1の核心部分は10ページに説明が掲載されています。
学校を補うべき学習塾の分際で学校のことを非難してはいけないかもしれませんが、世の中の常識からして理解できません。学校や先生の都合で生徒が犠牲になっていると感じます。しかも、その生徒は中3の受験生です。尚、以前の「塾長からの一言」でも触れましたが、このようなことは時々起こります。
生徒達は試験範囲の発表の前に計画表を配布され、計画的な勉強をするように指導されています。しかし、学校側が計画的に授業を進めることができなければ、生徒達への説得力が消失します。また、このようなことがビジネス社会で起これば、ビジネス・チャンスを失うだけではなく、顧客からの信頼を失います。

(2002年05月23日) 【こんな生徒さんがいました その1】[▲ 先頭へ]
以前の「塾長からの一言」で簡単に触れた生徒さんをもう一度ご紹介致します。その生徒さん、T君は私の印象に強く残る生徒さんの一人です。
T君は、3年生の夏期講習からサミット・ゼミに通ってくれました。英語の基礎があやふやだった彼は、夏期講習で基礎を固めて、二学期から成績を伸ばしました。英語の成績は一学期が4で二学期は8になりました。模擬試験の成績(偏差値)は、9月:45.3 → 12月:52.1 → 1月:55.3 → 2月:58.6と大きく伸びました。5教科合計も9月から2月で、45.7から55.4まで伸びました。
正しい勉強法でまじめに勉強に取り組めば成績は大きく伸びることがよくわかります。秋から冬にかけてのT君の表情や態度は、真面目に勉強している素直さと真剣さに溢れていました。私は、上杉鷹山の「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり。」という言葉が大好きですが、T君は、まさにこの言葉を実践しました。
彼には目標の高校に絶対入りたいという強烈な願望がありました。その高校の当時の基準偏差値は53.8で、T君は見事にその基準を突破したのです。「思考は現実化する」と言われますが、ある目標を心に念じて、努力を重ねれば夢はかなうのです。

(2002年05月16日) 【才能とは】[▲ 先頭へ]
読売巨人軍の松井秀喜選手が星稜高校時代、自宅の机の前に「才能とは努力を継続することである」という張り紙をしていたそうです。私は、この言葉が大好きです。宝石の場合も、原石自体が美しいわけではありません。磨かれて初めて光り輝きます。
勉強ができることは非常に重要なことですが、人間にとってこれが絶対的なものではありません。松井選手や、先日アメリカで2勝目をあげたプロゴルフの丸山茂樹選手のようにスポーツで活躍することや音楽、芸術で活躍することも素晴らしいことです。また、様々な専門職で技を極めることも見事なことです。
どんな分野であれ、自分がこれだと思った分野で、一人前になれば良いと思います。それぞれの分野で基本的なセンスのようなものは必要かもしれませんが、その後大きく伸びるか否かは努力次第でしょう。エジソンはこんな言葉を残しています。「天才とは、1%の霊感と99%の汗である。」

(2002年05月09日) 【羽咋神社の大木】[▲ 先頭へ]
サミット・ゼミ羽咋教室は羽咋神社の鳥居の正面にあります。教室はビルの2階にあり、窓からは神社の境内が良く見えます。今年も、鳥居の傍にあるケヤキの木が新緑に包まれました。それは推定樹齢600年、幹の周囲が4.65メートルの見事な大木です。
その木を見るたびに根のことを考えます。どれほど広く、深く根が張り巡らされているのでしょうか。立派な根があって初めて見事な大木を支えることができます。我々は地上に見える部分だけを見ますが、それを支える根は見えません。
星稜高校出身の読売巨人軍の松井秀喜選手は球界を代表するホームランバッターですが、あの活躍の陰でどれだけの練習がなされてきたのか非常に興味があります。才能のある選手はそれなりの数だけいると思いますが、その才能を開花させるためには厳しい練習があるはずです。それは見事な大木を支える立派な根と同じだと思います。
勉強も同じで、好成績の陰には然るべき努力があります。他人が見えない所で努力をして初めて素晴らしい成績を残すことができます。そして、このことは社会に出てからの活躍にも当てはまります。社会人の知的土壌は学校時代の勉強です。学生の時の基礎的な知識や考え方の習得が社会に出てからの実学を支えます。

(2002年05月02日) 【勉強の基本 その2】[▲ 先頭へ]
成績が伸びるためには、試験前の勉強が不可欠です。学校では一週間前に試験範囲が発表されますから、計画を作った上で、テストのための勉強をしなければなりません。
以前、5教科の内2教科だけ勉強するという中3生がいました。彼は社会が好きで、社会はいつも勉強して80点前後の点数でした。もう一つの勉強する科目は英語だったり理科だったりしました。そして勉強した科目はやはり80点前後の得点で、その他の勉強しない科目は30~50点位でした。5教科合計ではもう少しで平均点というところでした。
彼は、各教科をまんべんなく勉強すれば相当高いレベルまで到達できたはずです。しかし、集中力の問題と勉強の習慣の問題のため2教科しかきちんと勉強しなかったようです。そして、目標意識が希薄だったことが、全体的なレベルアップに至らなかったことの根本的な原因です。
ほとんど全ての生徒さんは、きちんと勉強すればテストで好成績を残せて学力は向上します。ですから、勉強における大きな課題は、いかにやる気をだすかという動機付けになります。今後の「塾長からの一言」では、具体例を挙げながらこの点に触れていきたいと思っています。

(2002年04月24日) 【勉強の基本 その1】[▲ 先頭へ]
学力向上の第一条件は先生の話をしっかり聞くことです。学校の授業の進行は早くはありませんから、通常の理解力があれば、教科書の内容は授業中にマスターすることができます。そうすれば、家で復習する必要はありません。
しかし、この習慣がしっかりと身についている生徒諸君は多くはありません。5教科で400点を越える生徒さんは大体、学校の授業やゼミでの私の講義をしっかり聞いています。しかし、そうでない生徒さんは集中して話を聞くことができていません。
私の教室に、優れた能力はあるもののイマイチ伸び悩んでいる中3生がいます。この生徒さんは、私がホワイトボードで説明している時に、私の話に集中できず、よくツメをいじったりノートやプリントの他の部分を見ています。何回注意しても直りません。6人しかいない私の教室で私の話が聞けないのですから、40人もいる学校の教室で先生の話をきちんと聞いているとはとても思えません。
学校の先生や私の話をきちんと聞けない生徒さんが世の中に出た時に、会社の上司や同僚の人達や取引先の人達の話をしっかり聞くことはできないのではないかと懸念されます。

(2002年04月18日) 【教育を問う その4】[▲ 先頭へ]
学生時代、友人達からお前は先生に向いていると言われ、私は母に相談したことがあります。私の母の家系には学校の先生が多く、伯父や伯母も先生をしていました。しかし、母は、学校の先生は物の見方が狭く、硬直的な考え方になるので止めたほうが良いと言いました。
学校の先生に関していつも思うことの一つは、各大学の教育学部のレベルです。総合大学の教育学部は、他の学部に比べて一般的に基準偏差値が低くなっています。ある大学に行きたいけれど、法学部や経済学部は難しいので教育学部にするというパターンです。そういう人たちが先生になるとすれば、問題はかなり深刻です。子供達を育てたいという本来の目的で教育学部に進む学生はどれ位いるのでしょうか。
これらの問題の解決策として、ある一定の社会人経験をした人を教員に採用することを提案したいと思います。子供達は近い将来社会人として世の中に出て行きます。世の中の常識をわきまえ、世の中のことをより具体的に話せる人が先生になれば、子供達にとって非常に参考になるはずです。多様な社会人経験のある人達は、子供達の潜在能力をうまく引き出すことができるでしょう。
子供達が両親や家族以外で身近に接する大人は学校の先生です。学校の先生から非常に大きな影響を受けます。ですから、学校の先生は、その使命を自覚した上で職務を遂行しなければなりません。子供達に物を教える以上自分の勉強は怠ることはできません。社会常識は当然身につけておくべきです。そして子供達の良き相談相手であるべきです。この意味でも上述のアイデアは有効だと思います。

(2002年04月11日) 【英語の勉強会】[▲ 先頭へ]
私は大学卒業後、日産自動車株式会社に入り、契約や訴訟を扱う法規部に配属されました。法規部にいた時に、若い社員の英語力が飛躍的に向上した勉強会がありました。
当時は出勤する土曜日があり昼までの勤務でした。A部長の発案で、土曜日の10:00から二時間は若い社員の勉強会をすることになりました。約20人のメンバーがいましたが、毎回担当者が、アメリカの裁判記録を和訳してきて、その人の指名によりメンバーが一文ずつ英訳するという内容です。指名は自由で連続で指名されることもあり、また、A部長は可能な限り同席されていましたので、参加者はかなりの緊張感を持って臨みました。参加者は、担当者の読む日本語を聞いてすぐに英訳し、指名された人の英語を聞いていました。
勉強会が始まり、最初の頃は、自分も含めて若い法規部員達の翻訳はあやしげでしたが、回を重ねるうちに皆の翻訳能力が格段と上がってきました。3ケ月も経つと皆スラスラと英語が出てきました。自分でも、英語がスーッと出てくるようになったと感じたものです。
タフな国際契約交渉のできる法規部員を作るというA部長の狙いが当たったのですが、ある程度の厳しさの中で人間が育つことの実例だと思います。また、そういう仕組みを作ることが若い人たちの能力を高めるために必要です。

(2002年04月04日) 【教育を問う その3】[▲ 先頭へ]
明日はほとんどの中学で始業式です。いよいよ土曜日が全て休みになり、教科書の内容が3割削減される新学習指導要領が実施されます。やはり気になるのは、生徒たちの学力低下です。
高1の生徒さん達と話すと、彼らは一様に、一年前の中3の受験生時代は辛いと思って勉強したが、高校に入ってからの方がずっと辛いと言います。5倍(?)辛いと話す生徒さんもいます。確かに、現状でも、中学と高校で、英語も数学も勉強の難しさのレベルはかなり違います。例えば、中学3年間で習う英単語の数は約1 000語ですが、大学入試センター試験の必要な単語数は約1 300語と言われています。この1 300語は中学の1 000語に積み重なるものであり、また、中学の英単語はごく簡単なものが大半であることを考えれば、高校の英語の大変さがわかります。
新年度になり小中学校の教科書の内容が削減されても大学入試のレベルを落とすことはできないでしょう。もし大学のレベルが下がれば、日本の国際競争力がなくなり、日本自体の地盤沈下を招くことにつながります。大学入試のレベルを維持したまま中学の学力水準が下がると、当然のことながら高校での勉強の負担が大きくなります。現在でも大変なのに、これからは今まで以上に高校生に負担がかかることになります。
中学生諸君と一緒に勉強していていつも思うことは学校の教科書の進み具合の遅さです。何故教科書の内容が3割も削減されるのか、納得できる説明はなされていませんが、3割削減されたからと言って、生徒にゆとりが生まれ、総合学習がうまくいくとはとうてい思えません。新指導要領が目指す「自ら学び自ら考える」という目的のためには、教科書の内容を減らすことより、学校の生徒に対する指導力の強化が最重要だと思います。無限の可能性を秘めた生徒たちの能力をうまく引き出すような教育が必要でしょう。

(2002年03月30日) 【人生万事塞翁が馬】[▲ 先頭へ]
今年の受験では、高3生は全員現役合格することができました。しかし、高校受験では残念な結果に終わった生徒さんもいました。人生で初めての試練でうまくいかなかったことはとても大きなショックだったと思います。
私が高3の時、国立と私立の大学を1校ずつ受験しました。高望みで受けた国立大学の不合格は気になりませんでしたが、偏差値的に届いていた私立大学の入試で失敗したことはかなり大きな衝撃でした。一時的に落ち込みましたが、すぐに「リベンジ」しようと思いました。国立、私立ともにより難しい大学に目標を設定しました。同時に、神様が自分に「今までの勉強の仕方が甘かった。もう一度キチンと勉強しなさい。」と話しているように感じました。そして、浪人の一年間にしっかり勉強しました。苦手であった英語の偏差値は、現役の時の得意科目であった数学の偏差値を越えました。リベンジの結果は、東京大学と私立大学3校全ての合格でした。
高校入試、大学入試でたとえうまくいかなかったとしても、それを契機に頑張って後に一段高いレベルになれば良いのです。そうなれば、入試での失敗は失敗でなくなります。飛躍への一つのステップであったと積極的に評価することができます。私は、高校受験で失敗した生徒さんには、今の気持ちを書きとめるように手紙を書きました。悔しさをバネにして伸びて欲しいと強く思います。大切なことは、失敗を次に生かすことです。

(2002年03月28日) 【大学入試結果のお知らせ】[▲ 先頭へ]
大阪教育大学1名、新潟大学経済学部1名、信州大学工学部1名、3名全員合格でした。

(2002年03月28日) 【壁を乗り越えて】[▲ 先頭へ]
公立高校の合格発表(3/15)の後、生徒さんと父兄の方々がご挨拶に来て下さいました。その中で一人強く印象に残った生徒さんがいました。
彼の成績は、昨年の夏以降、ほぼ志望校の合格水準で推移していましたが、最終の2月の模擬試験で大きく成績を落としました。日頃の講義の中でなかなか実力が安定しないと感じていた私の心配が現実のものになってしまいました。志望校を変えることも相談しましたが、本人は、自分の志望を貫いて受験して、見事合格しました。
挨拶に来てくれた時の彼の表情はとても引き締まって精悍でした。2月から入試までの不安そうな表情とは一転していました。私は、一目見て、彼が成長したなと感じました。苦しい時期を乗り越えて、自分の希望をかなえたことで大きな自信を持ったようです。彼の表情からその自信が感じ取れました。人生における最初の壁、ハードルを乗り越えたこの経験は、3年後の大学入試や社会に出て様々な壁にぶつかった時に必ず生きるでしょう。

(2002年03月21日) 【高校入試は数学が鍵】[▲ 先頭へ]
3月15日石川県の公立高校の合格発表がなされました。ほぼ各生徒さんの希望がかないましたが、一部残念な結果もありました。上位校で志望がかなわなかった生徒さんで数学を苦手とする人がいました。本番の数学で失敗したようです。
入試において数学はとても大切な科目です。数学が得意な生徒さんは、他の暗記科目を勉強すれば、実力がグイグイと伸びます。数学が苦手な生徒さんは、何とか点数を稼ぎ出さなければ合計点が伸びません。また、数学はとてもこわい科目でもあります。一問の配点が大きいからです。簡単な計算問題も4~5点です。そして、ちょっとの油断で10点、20点はすぐに落としてしまいます。70~80点の実力のある生徒さんでも、50点前後になることが時々あるのです。
数学の勉強法やケアレスミスの予防法については講義の中で繰り返し述べています。勉強の仕方は、それぞれの分野の基本をしっかり理解した上で、たくさんの問題をこなすことです。ケアレスミスを防ぐ最善の方法は途中式を丁寧に書くことです。

(2002年03月15日) 【公立高校合格のお知らせ】[▲ 先頭へ]
泉丘2名、二水1名、桜丘1名、羽咋4名でした。皆さん、よく頑張りました。おめでとう!

(2002年03月14日) 【教育を問う その2】[▲ 先頭へ]
高1クラスに、期待通りには英語の成績が伸びていない生徒がいます。彼は、中3の時は大きな模擬試験で100番以内に入る優秀な生徒で、進学校と言われる高校に通っています。先日彼と話をしていて非常に驚きました。
二学期中に英和辞典を引いたことが一回もないとのことでした。学校の先生が、各単元の新出英単語や難しいと思われる英単語の訳をプリントにして配るそうで、彼はそのプリントで勉強していたそうです。
英語の力は、英和辞典を引いた回数に比例すると思います。それは、単語の使い方や発音・アクセントは辞典を見なければ分からないからです。英単語の使い方、即ち語法が大切で、語法の勉強には英和辞典は不可欠です。プリントの訳を見て教科書を勉強するだけでは、本当の力はつきません。
いい加減な勉強をしていた彼も悪いのですが、そういうプリントを配る先生の存在は看過できません。生徒の人気取りの為にしているのかもしれませんが、教師としての責任放棄だと言わざるを得ません。また、そんな状況が存在していることはとても残念なことです。

(2002年03月07日) 【教育を問う その1】[▲ 先頭へ]
日本経済新聞が3月1日から「再び教育を問う」という連載を始めました。最初の連載は一昨年の10月23日からでした。その日は「学びを忘れ 日本が沈む」というタイトルを一面トップにして衝撃的な連載開始でした。私は学習塾を始めて3年半になりましたが、日経新聞の連載を機に、気がついた点を述べていきたいと思います。
石川県の公立高校の入学試験は今日と明日の二日間行われます。この入試を前にした先週月曜日、ある中3の生徒が、社会の教科書がまだ終わっていないと言いました。さすがに先週中に終わったそうですが、学校がどんな計画で授業を行い、どのように進捗管理をしているのか疑問に思わざるを得ません。以前にもこういう経験がありましたから、今回だけのケースではありません。
生徒の立場が尊重されていないことが残念です。2月初旬の高校入試模擬試験は中学3年間の全分野を対象にしていますから、生徒がかわいそうです。また、計画を立てて、定期的に進捗管理がされているビジネスの世界では考えられないことです。ビジネス社会と学校はもちろん違いますが、計画的な物事の進め方という点で違いはないはずです。

(2002年02月28日) 【何故勉強するか その3】[▲ 先頭へ]
サミット・ゼミの教室には3種類の世界地図を貼っています。いずれも海外製で、カナダ・ベルギー・オーストラリアから取り寄せたものです。カナダ製の世界地図は北米大陸・南米大陸が中心になっています。ベルギー製はヨーロッパが中心です。オーストラリア製はオーストラリアや日本が中心ですが上下反対です。北海道が下になっています。それぞれの地域で物の見方の基準が違っていて興味深いです。
現在でも世界との交流は盛んですが、今後はますます国際交流が進みます。今の中高生諸君が世に出る頃は、外国の方々と話したり、仕事をしたりする機会がさらに増えることは明らかです。そして彼らが接する外国の人たちは、上の世界地図の例のように物の見方が違っていることがあります。
外国の人たちの考え方を理解した上で、日本人として彼らとコミュニケーションをとるためには、いろいろな知識を持ち、物の考え方がしっかりしていなければなりません。また、外国の人たちと接する時、その日本人は日本を代表しているとも言えます。ですから、自分自身の向上のためだけではなく、将来、日本や海外で外国の人たちと接する時のためにも、今勉強する必要があるのです。
機会がある度に生徒諸君と世界地図を見ていますが、3枚の世界地図が、向学心を持つ一つのきっかけになることを願っています。

(2002年02月21日) 【自己コントロール】[▲ 先頭へ]
国立大学の二次試験が来週に、石川県の公立高校の入試は再来週に迫ってきました。受験生の皆さんはプレッシャーと闘いながらラスト・スパートをしています。
自分にも経験がありますが、勉強をしていて、ふと悪いイメージが浮かぶことがあります。結果が悪かったらどうしよう、ある科目で失敗しないかなと考えてしまうのです。こういう場合、大切なことは、負のイメージから脱却して自分のやるべきことに集中することです。
「思考は現実化する」とよく言われます。人間は考えた通りの姿になるということです。ソルトレーク五輪で活躍している選手達は、肉体のトレーニングだけではなく、自分の理想的な姿を思い描くイメージトレーニングを積んでいます。積極的にある物を追い求める心の様相が重要です。
良いイメージを持って努力を積み重ねることができれば、道は拓けるのです。勉強をしていて不安感に襲われそうな場合、自分の目標を意識して、目の前にある勉強に集中して欲しいものです。この自分をコントロールする過程が将来の自分を築き上げます。

(2002年02月14日) 【意識レベル】[▲ 先頭へ]
ソルトレーク・オリンピックのスピードスケート男子五百メートルで清水宏保選手が100分の3秒差で金メダルを逃しました。万全ではない体調の中で本当に頑張ったと思います。最高ではないが最善のレースだったという彼の言葉は重みがあります。
清水選手は、今までの数多くのレースの中で満足できたレースは片手ほどもないと言っています。自分が成長するにつれて意識レベルが上がったそうです。努力してある段階まで来ても、満足度のレベルが上がっていて、次の段階を目指すとのことです。進化し続ける清水選手の姿は、夢を追い求める人達にとって素晴らしい教科書です。
勉強においても仕事においても、満足した時点で成長は止まってしまいます。目標を達成した時は素直に喜びたいですが、その時点で次の目標を設定しなければなりません。そして、その目標を目指して努力を重ねます。「生きがい」とか「やりがい」は、目標の達成で得られるのではなく、目標を目指して努力する過程の中にあるのでしょう。

(2002年02月07日) 【自分探し】[▲ 先頭へ]
2月1日の日本経済新聞の新卒就職特集に多摩大学学長の中谷巌さんが、「自分探し」をじっくりやることが大切という文を寄稿されていました。現在隆盛を極めている企業が今後もそうである保証はないことと、就職活動をするにあたって「自分は何をしたいのか」「何を売り物にできる人間になりたいのか」という「自分探し」をすることが不可欠であることをポイントとして挙げていらっしゃいました。
その文章は大学生を対象にしたものでしたが、「自分探し」については高校段階でも考えて欲しいテーマです。流動化した社会において「自分探し」は特に大切であり、自分の道を誤らないために早い段階から取り組んで欲しいものです。
以前の「塾長からの一言」で高校生の文系・理系の選択に関して触れた時にも記しましたが、高校段階で、様々な職業に関する情報提供が必要だと思います。いろいろな職業情報を提供した上で、生徒の適性や興味から進路を選択できるようにするべきです。「何になりたいか」とか「何をやりたいか」を聞く前に、こんな選択肢があるよという情報提供が先行するのが望ましい姿です。
「自分探し」のための進路紹介は高校のカリキュラムの中で取り上げて欲しいテーマですが、サミット・ゼミでは、自分の社会人経験や多くの友人、知人の姿から、高校生にできるだけ多くのことを、客観的に話していきたいと考えています。

(2002年01月31日) 【レポートが書けない】[▲ 先頭へ]
私が社会人になり10年位経った頃、会社に入ってくる大卒の人たちのレポートに首を傾けました。新人が書く会議の議事録や出張報告の内容が稚拙だったからです。内容のポイントが明快でなく、レポート作成者の意見も不明瞭でした。そこで、経団連に勤務する親友に、新人の文筆力について尋ねてみました。最優秀の大卒が入る経団連でも状況は同じでした。
高校入試や大学入試で作文や小論文が課せられることがあります。これは大変好ましい課題です。「物を考える能力」と「自分の考えを文章にする能力」が問われるからです。文を書くことが習慣になっていない中高生にとっては大変な課題ですが、自分の能力を正しく評価してもらうためには作文能力は不可欠です。
サミット・ゼミでは高校入試での国語の200字課題作文を念頭に置いて、中学生クラスで作文練習をしています。誰でも最初は書けないものです。しかし、作文の書き方を教え、何回か練習していくと、大体うまく書けるようになります。ポイントは、課題に沿った自分なりのテーマを絞り込んで作文の構成を考えることです。
学生時代に作文や論文の練習を積んでおけば、社会に出た時に正当な評価を受けることができます。その前提として、いろいろな事象に対して物を考えることを習慣にして欲しいと思います。

(2002年01月24日) 【教科書がない】[▲ 先頭へ]
前回の「塾長からの一言」では、各生徒さんは将来自立しなければならず、その為には「自分で物を考えること」が必要だと記しました。今回は、社会に出た時に何故「考えること」が必要かについて述べたいと思います。
私が社会人になった時にいろいろなことを感じましたが、その中の一つに、当たり前のことが当たり前にいかない、なかなか物事がスムーズに進まないことがあります。日産自動車の法規部で様々な事件を取り扱ったとき、その後のマーケティングの仕事でも本当にいろいろなことが起きました。何時の時点でも多くの課題がありました。そして、それぞれの課題に対する模範解答がなかったので苦労しました。即ち、様々な事象に関する教科書がなかったのです。
本屋さんに行けば、各分野に関するたくさんの本が並んでいます。しかし、それらは種々の問題に対する最大公約数的なものや、最小公倍数的なもので、ピタリと当てはまる指南書のような本はありません。こうすれば、A国でトヨタに勝てるというような具体的な内容は、当然のことながら書かれていません。本に書かれている考え方を参考にして、自分で夫々の課題に対する解決策を考えざるを得ませんでした。
社会に出た時に、全てが順調にいくことはあり得ません。様々な問題が発生した時に、状況に応じた具体的な解決策を「考える」ことが必要なのです。その為には、社会に出る前に、「考える」訓練をしておかなければなりません。学校での学習の過程でこの「考える」ことを実践しておかないと、有能な社会人にはなれません。

(2002年01月17日) 【自立】[▲ 先頭へ]
日本経済新聞が新年になり「民力再興」という連載をしていました。1月11日には「変革の道 個が開拓」というサブ・タイトルで、ホンダの創業者である本田宗一郎さんの「他人のまねをするな」「自立せよ」という言葉を引用していました。
私が中高生の皆さんに「自分で物を考えなさい」と繰り返し説くのは、近い将来自立しなければならないからです。何となく大学へ行き、何となく就職すれば、一生うまくいくという時代は終焉しました。「一億総中流」という言葉が死語になり、「勝ち組、負け組」という言葉がよく使われるようになりました。勝ち組になるためには、自分で物を考え、自立しなければなりません。
会社組織に入っていても、個々の構成員がしっかり機能してこそ、全体としてのパワーが生まれます。将来、独立するにせよ、会社勤めをするにせよ、一人一人が自立することが肝要です。自分で物を考えることができれば、どんな状態になっても活路を見出すことができるのです。

(2002年01月10日) 【自分に対する怒り】[▲ 先頭へ]
ある生徒さんへの年賀状に、自分に対して怒れと記しました。成績の上がらない中3生です。成績が芳しくない生徒さんに共通に見られる特徴は、現実を認識できていないことと自分に対する悔しさがないことです。
西武ライオンズの松坂投手が、かつて「リベンジ」という言葉を流行らせました。敗戦の悔しさを自分にぶつけ、次の対戦での雪辱を期するものでした。私自身の経験でも、浪人時代の頑張りは、現役で受験に失敗したことから生まれました。一体自分は何をやってたんだろうかと自分自身に対する強烈な怒りを覚えました。その怒りが、一年間の踏ん張りに直結したのです。
五教科で450点を狙う生徒さん達はしっかりとこの意識を持っています。ある科目で失敗した時は、自分に対して悔しがっています。この悔しさが次のテストでのリベンジにつながります。しかし、自分への怒りがなければ、頑張ろうという気持ちにならず、成績が悪いままで停滞してしまいます。自分に対する怒りは向上へのブレークスルー(突破口)です。このことは、勉強だけではなく、スポーツでも芸術でも同じだと思います。

(2002年01月03日) 【新春を迎えて】[▲ 先頭へ]
あけましておめでとうございます。
年が明けて、大学受験生はセンター試験まで半月、高校受験生は私立入試まで1ケ月を切り、公立入試まで2ケ月となりました。受験生の皆さんは、あせりや不安感と闘いながら毎日を頑張っていることでしょう。
これからの時期は特に、自分をコントロールすることが課題です。あせりや不安感に襲われた時でも、自分を目の前の勉強に集中させることが必要です。自分をコントロールしつつ、目標に向って地道な努力を重ねる過程こそが重要であり、この経験が社会人になった時に必ずや役に立つのです。天命を待つためには、先ず人事を尽くさなければなりませんが、気持ちを前向きに持ち続けることが大切です。
本年も、中高生の皆さんと共に、楽しく厳しく勉強し、彼らの良き相談相手になる所存です。自己研鑽も忘れず、名伯楽を目指して頑張ります。どうぞよろしくお願い致します。